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こんにちは。
マシャラ旅のYuseiです。
▶︎2024/07/13
7月になり私は中央アジア、タジキスタン共和国の首都ドゥシャンベにいた。
タジキスタンに滞在した目的は、同国と国境を面しているアフガニスタン・イスラム首長国(以下アフガニスタン)に渡航するためである。
2024年7月13日、私はタジキスタンから陸路でアフガニスタンに入国した。
今回は、タリバン政権下のアフガニスタン北部を5日間にわたって旅したときの話をしようと思う。
現在アフガニスタン全土に退避勧告(危険レベル4)が発令されているため、渡航する際は自己責任であることを忘れないでほしい。また、この記事はアフガニスタン渡航を進めているものではないし、渡航時に何かトラブルがあっても一切の責任を負わないものとする。
アフガニスタン・イスラム首長国

基本情報
首都:カブール
通貨:アフガニー(AFN)/1AFN=2.25JPY=0.014USD(2024年7月13日のレート)
言語:ダリー語、パシュトー語(公用語)
宗教:イスラム教(主にスンニ派、ハザラ人はシーア派)
面積:652,225平方キロメートル(日本の約1.7倍)
人口:3,890万人(2020年 世界人口白書)
アフガニスタンを旅する上で歴史を事前に知ることはとても重要である。
ここでは簡単にアフガニスタンの歴史を紹介する。
アフガニスタンの歴史
少なくとも5万年前にはアフガニスタンに人々が住んでいたとされている。
7世紀頃、イラン国境の都市ヘラート付近でイスラム化が進み、9〜12世紀の主にサーマーニー朝、ガズナ朝などの時代に本格的にイスラム化された。
その後ティムール朝、ムガル帝国などの支配下に置かれたのち、1834年にアフガニスタン首長国誕生。
19世紀後半になるとイギリスとの戦争を繰り返し勝利・敗戦を経験、イギリスの保護国となったものの1919年の第三次アフガン戦争でイギリスから独立した。
1926年にはアフガニスタン王国が誕生し、第二次世界大戦中は連合国、枢軸国のどちらにもつかない中立国として終戦まで機能していた。
1973年のクーデターで共和制、1978年のクーデターで社会主義国家になる。
1979年、反政府勢力の排除と社会主義国家の樹立を目的とした、ソ連によるアフガニスタン侵攻が発生。反政府勢力(イスラーム勢力ゲリラ)に対してアメリカが武器援助を行なったことで、アフガニスタン侵攻は実質ソ連とアメリカの代理戦争状態となった。
ソ連撤退後、1989年〜2001年まで続いたアフガニスタン紛争ののち1992年にアフガニスタン・イスラム国が成立。1996年、タリバンがカブールを占拠しアフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言した。
2001年、アメリカでの同時多発テロをきっかけにアメリカ軍とその支援を受けた新政府アフガニスタン・イスラム共和国と、タリバンやアルカイーダが争い、2021年まで続いたアフガニスタン紛争が再度勃発。
2001年12月、カブールで暫定政権発足の記念式典が挙行された。
アメリカ軍が撤退を進める中、2021年5月にタリバンが本格的に主要都市を次々と制圧し2021年8月15日には首都カーブルに迫り、全土を支配下に置いたと宣言した。
これにより、現在のタリバン政権アフガニスタン・イスラム首長国が成立した。
アフガニスタン渡航に必要なVISAの取得
2024年7月現在、アフガニスタンに日本人が渡航する際はVISAの取得が必要である。
VISAの取得は、到着時に国境で取得するアライバルVISA、事前に大使館または領事館で取得する2種類の方法がある。
現在アライバルVISAで入国できるのはタジキスタンーアフガニスタン国境のみである。
私の渡航ルートはタジキスタンから陸路でアライバルVISAを取得し、アフガニスタンに入国したもの。アフガニスタンVISAについては、アライバルVISAをメインで紹介しようと思う。
VISA取得に必要なもの(タジキスタン国境)
アライバルVISA取得に必要なものは以下の通りだ。
- パスポート
- パスポート用証明写真(2枚)
- 申請費用(80USD)
パスポート用の証明写真はタジキスタンの首都ドゥシャンベで簡単に撮影&印刷が可能だ。
私はこの建物の2階で、4枚10TJS(約140円)で撮影してもらった。
アライバルVISAの申請費用は米ドル換算すると80USDだが、支払いはアフガニーのみ可能なので、両替手数料やレートを考えて少し多めに持って行った方が良い。なお、両替は国境にて可能だ。
ちなみに、パキスタンから入国する場合は、ペシャワールにあるアフガニスタン領事館でVISAを事前に取得しておく必要があるが、申請料金は100USD(米ドル支払い)である。
アフガニスタンVISA取得手順(タジキスタン国境)
以下がアライバルVISA取得までの手順である。
- 国境のタリバンオフィスでパスポートと証明写真2枚を提出
- 振り込み用紙を発行してもらう
- 振り込み用紙を持って一旦入国し銀行へ行く
- 銀行でVISA申請料を現金で支払い(振込)
- 再度国境のタリバンオフィスに戻る
- オフィスでVISA申請用紙を記入
- VISA取得後イミグレーションにて入国スタンプ
- クンドゥーズ市内の外務省クンドゥーズ支局でVISAオフィシャルスタンプ
詳細は別の記事を参照
【2024旅情報】タリバン政権アフガニスタン入国/アライバルVISA取得方法と料金
ここからは旅行記。
これから数回に分けてアフガニスタン滞在記を投稿する予定である。
また、今回の内容はYoutubeにも載せているので、ぜひそちらも観てほしい。
タジキスタンの首都ドゥシャンベ〜国境
2024年7月13日午前5時、私は1週間滞在していたドゥシャンベ市内のホテルをチェックアウトした。
まだ辺りは暗かったのだけれど、タジキスタンーアフガニスタン国境は午前9時に開くので、私はそれまでに国境に到着したかった。
国境の名前はPanji-poyon(タジキスタン側)・Shir Khan Bandar(アフガニスタン側)だ。
ドゥシャンベから国境までは、ドゥシャンベの南にあるSakhovat Bazar近くからシェアタクシーで直接アクセスできる。
Sakhovat Bazar

ホテル近くからタクシーに乗り、まずはShakhovat Bazarに向かった。
シェアタクシー乗り場は、Shakhovat Bazarの道路を渡った反対側。
座標(38.517249, 68.761576)
シェアタクシー乗り場

シェアタクシーの相場は1人150TJS(約2,250円)である。
最初の提示価格は300TJSだったので値段の交渉が必須だ。
シェアタクシーは人数が集まらないと出発しないのだけれど、私のときは国境方面に行く人が全然おらず約1時間待って出発した。
これからアフガニスタンに行くというワクワクと緊張で複雑な気持ちだった。
数時間のタクシー移動が、長いようで一瞬だった。
国境までの道中は、乗客の乗り降りはあったがノンストップで到着した。
時刻は午前9時40分、国境はすでに開いていた。
国境手前

この先にあるチェックポイントにてパスポートを提示し、国境内で運行しているタクシーでタジキスタン側のイミグレーションに向かう。
タクシーの料金は10TJS(約150円)。
タジキスタン側のイミグレーションは特に変わったことはなく、質問も特にされなかった。
出国スタンプをもらったあと、再度タクシーに乗ってパンジ川(国境)を渡る。
このタクシー料金も10TJS(約150円)だ。徒歩でアフガニスタン側に行きたいことを伝えたが、タジキスタンからアフガニスタンは徒歩不可、アフガニスタンからタジキスタンは徒歩OKだそうだ。
タジキスタンーアフガニスタン国境のパンジ川

アライバルVISA取得〜アフガニスタン入国
タリバンオフィスでVISA申請
アフガニスタン側のイミグレーションに到着した。
写真右奥の建物がイミグレーション

まずアライバルVISAを申請しなければならないので、その旨を国境スタッフに伝えるとタリバンオフィスまで案内してくれた。
タリバンオフィスは、国境から徒歩で車のセキュリティチェックブースを通り過ぎた右側にある。
セキュリティの関係でオフィス内に大きな荷物を持ち込むことができないので、入り口のテーブルに荷物を置き、貴重品とVISA申請に必要な書類だけ持ってオフィス内に入る。
パスポートと証明写真2枚を提出し、約10分ほどでVISA申請料の振込用紙を発行してもらった。
振込用紙

「この振込用紙を持って一度入国し、タクシーを使って街の銀行に行き振込をしなさい。」と言われた。
まだVISAが未発行だし、入国審査もセキュリティチェックも通らずにアフガニスタンに入国して銀行へ行くという、とても不思議なシステムだ。
事前にVISA取得までの手順は知っていたから戸惑わなかったけれど、本当にこの状態でアフガニスタン入国して問題ないのか少し不安だった。なんたって、ここはアフガニスタンである。
タリバンに2時間軟禁される
実はドゥシャンベのホテルで出会った日本人と一緒にアフガニスタン国境に来た。
彼は私と同い年で、ドゥシャンベでたまたま同じホテルに滞在し、これからアフガニスタンに渡航するとのことで一緒に来たのだ。
しかし私はガイドを雇わずに個人旅行をする予定だったが、彼はガイドを雇っていたから一緒に行動するのはここまで。そのつもりだった。
振込用紙をもらったので私は国境で待機しているタクシーで銀行に行こうとしたのだけれど、彼は相当アフガニスタンにビビっているらしく、彼のガイドが到着するのを一緒に待つことにした。
ここは国境、しかもアフガニスタンである。
不審な行動はすべきではないし、しかもタリバンに言われたのは「タクシーを使って」だ。
監視カメラで私たちが外で立っているのを確認したのか、先ほどのタリバンが私たちをオフィスに連れ戻しにきた。
拘束こそされなかったが、オフィスから出ることを許されず軟禁状態になった。
特にタリバンに対して怖い印象はなく、軟禁されているとはいえ割と自由は保証されたし、水と飴もくれた。
ガイドとの連絡を許可してもらい、約2時間で彼が雇ったガイドが到着し軟禁が解除された。
落ち度は完全に私たちにある。
アフガニーに両替〜銀行振込
VISA申請料はアフガニスタンの通貨アフガニー(AFN)でのみ可能だ。
国境に両替商がいるので、銀行に行く前に必ず両替をしておく必要がある。
なお、USDの他にTJSからもAFNに両替することができるので、タジキスタン滞在中に無理にUSDを用意する必要はない。
2024年7月13日のレートは1USD=71.42AFN、両替商が提示したレートは1USD=70AFNだから決してレートは悪くない。
国境の両替商

国境から最寄りの銀行まではタクシーで往復80AFN(約180円)だった。
このときすでに時刻は12時48分。私が銀行に到着したとき、ちょうどランチ休憩(12時30分〜13時30分)で銀行が閉まっていた。
国境から一番近い銀行

彼が雇ったガイドと一緒に銀行が開くのを待った。
13時30分、時間ぴったりに銀行が再開したので、振込用紙をカウンターで渡して振込をする。
銀行のカウンター

VISA申請料は5,850AFNだ。先ほど両替したAFNから支払いをした。
振り込みの手続きは約20分だった。銀行は特にセキュリティチェックは無く、銃を持った警備員もいなかった。
振り込みが完了していることを証明する紙を持って、同じタクシーで国境に戻る。
VISA取得〜イミグレーション
振り込みが完了したので、国境のタリバンオフィスに戻ってきた。
ここでやっとアライバルVISAの申請用紙を記入した。
申請用紙

無事に発行されるかどうかの不安と、発行されたらもうすぐアフガニスタンに正式に入国するというワクワクで心拍数が上がっている。
ここからはスムーズだった。
時刻は15時20分、申請書類を記入してから10分くらいで紙のアライバルVISAをパスポートに貼ってくれた。
アフガニスタンVISA

ついに念願のアフガニスタンVISAである。Afghanistanと書かれているVISAが私のパスポートに貼られたことが嬉しくて、何度も見返した。
VISAを発行してもらったので、これからイミグレーションに行く。
イミグレーションは最初タジキスタンからタクシーで移動し、降りた場所だ。
入国審査では特に何も聞かれることはなく、一瞬で入国スタンプを押してくれた。このとき15時36分だった。
アフガニスタン入国スタンプ

入国スタンプをもらったら、次はセキュリティチェックに移動する。
セキュリティチェックではバックパックの中の荷物を全て出し、衣類が入った袋も開けて衣類と衣類の間も細かくチェックされた。AK-47(ライフル銃)を持った大柄のタリバン戦闘員だ。
何を見ていたのかは不明だけれど、恐らく爆発物だと思う。
アフガニスタンに持ち込めないものは事前に確認しており、それらを持っていないこともドゥシャンベにいるときに確認していたので、セキュリティチェックは特に問題なかった。
ということでアフガニスタン・イスラム首長国に入国完了。
ただし、まだVISAにオフィシャルスタンプを押してもらっていないので、これから国境に一番近い都市クンドゥーズにある外務省クンドゥーズ支局に行って、スタンプを押してもらわなければならない。
本当に手続きが面倒である。
Shir Khan Bandar国境からクンドゥーズに移動
国境の両替商前が駐車場になっており、タクシーに乗る場合はそこから可能だ。
国境からクンドゥーズ(Kunduz)まではシェアタクシーがあるのだけれど、午後をすぎると本数が減り、夕方にはタクシーがいなくなってしまうので注意が必要だ。
現在の時刻は16時過ぎ、すでにシェアタクシーは停まっていない。
街までヒッチハイクするしかないかな・・・と思っていたら、国境でたまたま働いていたアフガニスタン運輸空輸省の職員の方達が声をかけてくれた。
彼らもちょうどクンドゥーズに帰るので、車に乗せてくれた。
クンドゥーズまで乗せてくれた方々

彼らは政府関係者だがタリバンではない。
現在のタリバン政権では、非タリバンも公務員として働いている。
アフガニスタンは乾燥した気候。
車内から見える景色も、砂漠のように砂地がずっと遠くまで広がっていた

道中でアフガニスタン製エナジードリンクをご馳走してくれた。
彼ら曰く、ドバイやパキスタンなどの周辺国に輸出している飲み物らしい。
アフガニスタンのエナジードリンク

国境からクンドゥーズまでは車で約1時間。
道中ところどころにチェックポイントがあり、通常外国人が乗っている車は止められ、パスポートのチェックがあるのだけれど、私は1度も止められることなくクンドゥーズに到着した。
外務省クンドゥーズ支局はクンドゥーズの中心地から少し離れているので通常オートリキシャを使うのだけれど、私の場合は彼らがそこまで連れて行ってくれた。
ちなみにオートリキシャを利用する場合、英語がほとんど通じない。下の写真は外務省クンドゥーズ支局の住所なので、困ったらこの写真をドライバーに見せたら良いだろう。
外務省クンドゥーズ支局の住所

外務省クンドゥーズ支局
外務省クンドゥーズ支局の場所(36.712236, 68.867553)
詳しい営業時間は不明だけれど、私が到着したのが17時30分でそのときはまだ開いていた。
入り口にあるドアベルを鳴らすとスタッフ(タリバン)がドアを開けてくれる。
セキュリティチェックは無く、荷物を持って建物内に入りパスポートを渡して待つ。
ドアを開けてくれた人が5分くらいで戻ってきて、それで手続きが完了だ。
VISAを見たら、オフィシャルスタンプが押してあった。
VISAのオフィシャルスタンプ

これでついに入国に関する手続きは全て完了である。
アフガニスタンを観光する場合は、必ず各州のパーミットを取得する必要がある。
通過だけ、滞在しても観光をしない場合はパーミットを取得しなくても問題ないが、1泊以上する場合は取得しておいた方が無難だ。
なお、万が一パーミットを取得していなかった場合、「タリバンと一緒にオフィスに行きその場でパーミットを取得、場合によっては拘束される」とタリバンらが言っていた。
確証はないが、恐らくそのとき担当したタリバンの裁量で対応が変わるのだと思う。
クンドゥーズを散策
タリバン戦闘員と一緒に今夜滞在するホテルを探す
クンドゥーズには今回1泊しかしないので、私はパーミットを取得しないことにした。
まだホテルを予約していないから、一旦ホテルを探して荷物を置きたい。
インターネットが繋がっておらずどこにホテルがあるかも分からないので、ライフル銃を持っている道端にいたタリバン戦闘員に泊まれる場所を尋ねた。
ありがたいことに、彼が私を護衛しながら泊まれる場所を一緒に探してくれることになった。
ちなみに、アフガニスタンで銃を持てるのはタリバンだけである。
護衛してくれているタリバン兵

アフガニスタンでは食堂に少額のお金を支払って泊まることができる。
しかし2024年7月現在、外国人が食堂に寝泊まりすることは禁止されていた。
実際、私の旅仲間(ドイツ人)がクンドゥーズの食堂で寝ているときにタリバンの見回りがやってきてホテルに移動させられたことを、私が渡航した4日前に聞いていた。
当然彼はタリバンなのでそれを知っていたのだけれど、「俺の紹介だから大丈夫だ」という良く分からない理屈で、食堂数軒に空きがあるか聞いてくれた。本当かよ!
残念ながらその周辺に宿泊できる食堂がなく、次の食堂を探していたら大きなホテルを見つけた。
5 Star Hotel

本当は節約したいしローカルな食堂に泊まってみたかったけれど、アフガニスタン初日で状況がわからない状態だったので、安全をお金で買うことにした。
大きなホテルがあったので、今日はこのホテルに宿泊しようと思う。
名前は5 Star Hotelだが、お察しの通りもちろん5星ホテルではない。
フロントで空き部屋があることを確認し、部屋を見せてもらった。
最初に案内されたのはVIPルーム。
私1人なのにベッドは2台、シャンデリアがあってとても豪華だったが、もちろんびっくりするくらい値段が高い。
1泊3,500AFN(約7,875円)だ。
一番安い部屋が良いことを伝えたら、シングルルームのこの部屋を案内してくれた。

- エアコンなし
- バスルーム共有
- Wi-Fiあり
その条件で1泊1,000AFN(約2250円)だった。
もちろんホテルのグレードによるが、アフガニスタンではシングルルーム1泊1000AFNが相場だ。
相場通りなのでこの部屋に1泊する。
共有バスルーム

共有バスルームは正直あまり清潔ではない。
料金は先払い。パーミットの提示は求められず、パスポートとVISAのコピーだけ取られた。
それでは荷物を置いて、少しだけクンドゥーズを散策しようと思う。
クンドゥーズを散策する

クンドゥーズは高い建物が少ないけれどとても人が多い。
観光客が少ないアフガニスタンでは外国人であるだけで目立ってしまうのに、無印良品で揃えた服では注目の的だ。それが攻撃の的にならないためにも、アフガニスタンの伝統衣装シャルワールカミーズをなるべく早く作りたかった。
滞在するホテルから徒歩5分くらいのところにバザールのような場所があり、そこには布屋さんがたくさんあった。
布屋さんがたくさんあるエリア(36.729023, 68.867229)
とある布屋さんが声をかけてくれたので、この布屋さんで布を買うことにした。
普段黒色の服しか着ないのだけれど、今回はネイビーの布にした。
1m150AFN(約337円)、私の身長(177cm)では4m必要らしい。

購入した布を持って近くのテーラーに行った。
布屋オーナーの知り合いのテーラーだったので、出来上がった服は布屋さんで受け取ることにした。
テーラー代は400AFN(約900円)、すでに暗くなる時間だったから受け取りは明日朝8時になった。
布代とテーラー代で合計1,000AFN(約2,250円)。現地の人に相場は1,000〜1,500AFNと聞いていたので妥当な金額である。出来上がりがとても楽しみだ。
アフガニスタンでは伝統的な帽子を被る人が多い。
種類は2種類あるのだけれど、私はPakolという帽子が欲しかったので帽子屋さんを探した。
形や色がいくつかある中で、チャコールグレーのPakolを買うことにした。
値段は150AFN(約337円)。想定よりかなり安い。
お支払いをしようと思ったら、店員さんが「あなたは私たちのゲストだから私たちがこれをプレゼントします。」とプレゼントしてくれた。アフガニスタンのおもてなしである。
いただいたPakol

アフガニスタン初日のディナー
夜のお祈りの時間が過ぎ、お腹が空いてきたのでレストランを探すことにした。
ホテル周辺には美味しそうなレストランがたくさんある。
つい最近までほとんど観光客がいなかったアフガニスタンでは、みんな観光客に興味津々で話しかけてくれる。
アイス屋さんの前を通ったときに「アイス食べて行きなよ」と声をかけていただいたので、暑かったしせっかくだから1ついただくことにした。1つ10AFN(約22円)だ。
10AFNのアイス

アフガニスタンでは冷凍庫を持っている飲食店が少ないらしく、今でも氷と塩で温度をさげた水の中に金属ボウルを入れて凍らせる伝統的な方法でアイスを作っている。
アイスはミルクアイスだけれど、ほのかにカルダモンの香りがしてとても美味しい。
コーンは体に悪そうなピンク色だった。
お金を渡そうとしたら、「あなたは私たちのゲストだからお金はいらないよ。」と言って受け取ってくれない。ここでもアフガニスタンの人々の優しさに触れることができた。
再び街を歩いていたら、私が好きなアフガニスタン料理チャップリカバブのレストランがあったので、今日のディナーはここで摂ることにした。
クンドゥーズのチャップリカバブ屋さん

チャップリカバブは、ひき肉と野菜を混ぜたものを薄く伸ばして少量の油で揚げた料理だ。
見た目はハンバーグによく似ている。
大きなフライパンを少し傾けているので、油で揚げたあと手前の油がない部分で焼くことができるのでとても効率的な調理器具だと思う。
チャップリカバブに使うフライパン

ナーンと一緒にチャップリカバブをいただく。
青唐辛子が肉の中に入っているのでピリ辛だけれど、辛いものが苦手な私でも問題なく食べられた。
ちなみにチャイは無料だ。

アフガニスタンの物価を考えると100〜150AFNだと思うのだけれど、ここでも「あなたは私たちのゲストだからお金はいらないよ。」と言ってくれた。
本当にありがたい。と同時に、こんなにたくさんのおもてなしを受けると申し訳なささえ感じる。
店員さんと知らない人たち

私と同じテーブルで食事していた人がタリバン政権についてこのように語っていた。
タリバン政権になって、私たちはとても幸せだ。今まで頻繁に起きていたテロ発生数が少し減り、タリバンがセキュリティをかなり厳重にしているから以前より安全になった。
皆さんとたくさん話をしていたらいつの間にか20時を過ぎていたので、そろそろホテルに帰ることにした。明日はクンドゥーズの隣にあるバルフ州の州都「マザーリシャリフ」に移動する予定なので早めに寝る。
次回の投稿はアフガニスタン2日目。
クンドゥーズからマザーリシャリフまでの行き方や料金、SIMカードが購入できる場所などを旅行記と一緒に紹介しようと思う。
それではまた次回。
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