【2021旅行記】シベリア抑留地(キルギス抑留)キルギスタン・タムガ村を訪問して/行き方(#012 中央アジア)

キルギスタン

こんにちは。
マシャラ旅のYuseiです。

▶️2021/8/20

前回まではキルギスタン東部の街カラコルに滞在していた。
キルギスタン最大の湖イシク=クル湖南部の小さな村にシベリア抑留(キルギス抑留)で連行され、強制労働をさせられた日本兵が建設した療養所があるということで、今回そこに行くことにした。

ということで今回は、タムガ村とシベリア抑留(キルギス抑留)についての解説と、タムガ村までの行き方を紹介する。

タムガ村

Tamga

タムガ村はイシク=クル湖南部に位置する人口約800人の村。
シベリア抑留(キルギス抑留)で強制労働させられた日本人が建設したサナトリウムがある。
ビーチリゾートとして現地では有名。

タムガ村のビーチ

タムガ村にあるタムガビーチはキルギスタンで一番の透明度だ。
地元の人にとってここは人気のリゾート地なのだけれど、私が今回タムガを訪れた理由はビーチではない。

ここタムガ村には、125人の日本人がシベリア抑留(キルギス抑留)で連行され、療養所や道の建設を行った歴史がある。

詳細は後ほど解説するとして、まずはカラコルからタムガ村への行き方を説明する。

カラコルからタムガ村への行き方

タムガ村へはマルシュルートカを利用する。
マルシュルートカは乗合バンのような交通手段で、キルギスタンでは定番の移動方法だ。

まず、カラコルにはビシュケクなどの長距離移動に利用する大きなバス乗り場(アフトヴァクザール)が1つ、カラコル市内や隣町に移動する小さなバス乗り場(アクチレク・バザール内)が1つある。

さて、本題のタムガ行きのマルシュを探しにアフトヴァクザールに行った。
しかしビシュケク方面しかマルシュがない。
タムガ村はビシュケクほど遠くないから、アクチレク・バザール内にあるバス乗り場に行ってみた。

結論、どちらのバス乗り場にもない。

バス乗り場のスタッフや運転手に聞いても「あっち」「向こうの方」としか教えてくれず、本当に分かりにくかった。

タムガ行きマルシュ乗り場の場所はこちら。

行ってみたら分かるけど、ここはガソリンスタンド隣のただの空き地・・。
タムガ行きのマルシュはここに行けば乗れる。
ちなみに私は、道ゆく人に場所を聞きまくり指差す方向にひたすら歩くという方法で約1時間かけて、やっとたどり着いた。

タムガ行きのマルシュは200ソム(約260円)だった。
交渉次第で安くなる可能性あり。

シベリア抑留(キルギス抑留)地としてのタムガ村

タムガ村は先ほども言ったとおり、シベリア抑留(キルギス抑留)で連行された日本人が滞在していた村だ。

シベリア抑留は有名な歴史だから知っている人も多いと思うけれど、タムガ村を訪れる上でとても重要なポイントなので簡単に解説する。

シベリア抑留

第二次世界大戦末期、広島の原爆が投下された2日後の1945年8月8日、
ソ連が日ソ中立条約を破棄し日本に対して宣戦布告をした(対日参戦)。
1945年8月14日、日本は降伏しポツダム宣言を受諾。
「帰国して家庭復帰をしましょう!」をいう内容だったものの、実際捕虜の日本兵はシベリアなどに強制労働目的で移送された。

シベリア抑留で日本人が連行された主な場所は次のとおりだ。
当時ソ連だったキルギスタン・タムガ、ウズベキスタン・タシケント、ジョージア、ソ連の衛星国だったモンゴル・ウランバートルなど。

キルギスタンに連行され強制労働させられた出来事をキルギス抑留と呼ぶ。
シベリア抑留では、過酷な環境、過労、栄養不足、病気の蔓延などでたくさんの日本人が亡くなった。
しかしキルギス抑留では連行された日本人125人全員が誰一人として亡くなることなく帰国したことだ。

参考までに、シベリアでは5万8千人の日本兵が亡くなったらしい。
労働環境こそ良いものではなかったが、真面目に働く日本人を見て、キルギス人も何か感銘を受けたのかもしれない。

私は、そんな日本と縁のあるタムガ村を訪れたかったのだ。

日本人が建設した療養所(サナトリウム)

タムガで日本人が建設したのは、療養所(サナトリウム)、ビーチまでの道路、そしてサナトリウム周辺の植樹だそうだ。

ちなみにサナトリウム内には現在、キルギス平和センターというものがある。

サナトリウムの場所はタムガ村の端。
広い敷地の療養施設内のこの建物を日本人が建設した。

サナトリウムの敷地には無料で入れる。
入り口にセキュリティスタッフがいるが、特に止められることもなくそのまま入って問題ない。
日本人が建設した建物は入り口入って5分ほど奥に進んだ場所だ。

サナトリウムの建物内にはキルギス平和センターがあるのだけれど、私が訪れたときは鍵がかかっていた。何度かノックしたら開けてくれた。

キルギス平和センターには、当時の写真やキルギス抑留に関する資料が展示されている。
強制労働をさせられていた日本人の写真、彼らが数十年後にこの地を訪れた際の写真、新聞、彼らが家族に宛てた手紙・・・。

タムガに来たら、ぜひ立ち寄ってみてほしい。

こちらは日本人が植樹した並木道。
数十年のときが経ち、大きく成長した木々。少し複雑な気持ちだった。

キルギス平和センターを見学したあとは、日本人が造ったビーチへ伸びる道を歩き、有名なタムガビーチへ行った。

ビーチの透明度は確かに高かった。チョルポンアタよりはるかに透き通っている。

祖国への帰還を希み、一所懸命サナトリウムの建設に携わり偉大な功績を残した私たちの先輩方の歴史を、日本から遠いこの地で知ることができたことは本当に有意義だった。


今回の内容はYoutubeにも載っているのでそちらもみてほしい。
次回は、タムガ村からバルイクチに行く様子をお伝えする。

それではまた次回。

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