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こんにちは。
マシャラ旅のYuseiです。
昨日2021/09/10にサマルカンドに到着。
サマルカンドには世界遺産があるのだけれど、すでにそれが少し見えたので早く観光したい。
▶︎2021/09/11
ということで今日から2日間にわたって青の都サマルカンドを散策する。
サマルカンドを観光するときはタクシーなどを利用するのも良いけれど、歩くのが好きな人は徒歩でも十分観光できる。
サマルカンド

サマルカンド(Samarkand)
サマルカンドは、ウズベキスタンにある歴史都市。
シルクロードの交差路として栄えたため、当時の建物が数多く残っている。
サマルカンドは晴れの日が多く、サマルカンドブルーと呼ばれる青色の建物が多いことから「青の都」とも呼ばれる。
レギスタン広場

レギスタン広場
サマルカンドの顔とも言えるレギスタン広場は、古代都市の中心部に位置している。
広場の名前を直訳すると「砂の場所」を意味する。
広場は3つの大きなマドラサ(イスラム学校)で囲まれている。
まずはサマルカンドで一番有名であろうレギスタン広場に行くことにした。
2021年9月現在、レギスタン広場の入場料は40,000スム(約450円)だった。
チケット売り場でガイドの勧誘を受ける。
公式のガイドなので特に問題なさそうだったけれど、それなりに高額だしある程度歴史は知っているので今回はやめておいた。
広場内に入る。マドラサと広場の大きさと美しさに早速圧倒された。
それにしても建物も空も青い。
ウルグベクマドラサ

レギスタン広場には3つのマドラサが向かい合っているのだけれど、正面向かって右側にあるのがウルグベクマドラサである。これがレギスタン広場の中で最も古いマドラサだ。
完成したのは1420年。
確かに、見た目も一番古い。少し塔も傾いているような気がした。
ここでウズベク人家族が話しかけてくれ一緒に写真を撮った。

とても素敵な家族だった。
シェルドルマドラサ

正面向かって左側にあるのはシェルドルマドラサだ。
先ほどのウルグベクマドラサが完成した約200年後の1636年に、ウルグベクマドラサを鏡写しにするかのように建設された。
しかし誤差があって結局鏡写しにはならなかったらしい。
それにしてもマドラサは装飾が美しい。
よくサマルカンドブルーという言葉を耳にするが、本当に美しいブルーだと思う。

この写真はマドラサの入り口。
この細かくて美しい模様が、マドラサの内外全体にあるのだから見事だ。
しかもそれらは絵ではなくタイルでできていて、パズルのようにはめ込んでるとか。
ティリャーコリーマドラサ
最後に向かって正面にあるティリャーコリーマドラサを見学した。
これが一番新しく、完成したのは1660年だ。
ティリャーコリーマドラサ内はこのように黄金の装飾が美しかった。

ティリャーコリーマドラサにはイスラム教の礼拝所モスクが併設されている。
夜に行くとこんな感じにライトアップされているので、これもまた美しい。
ウズベキスタンはアラブ諸国ではないが、まるでアラビアンナイトのような気分になった。
グーリ・アミール廟
レギスタン広場をあとにしてグーリ・アミール廟へ向かった。
レギスタン広場からグーリ・アミール廟までは、やや距離があるものの歩けないことはない。
灼熱の太陽の下で20分くらい歩いて到着した。

グーリ・アミール廟
グーリ・アミール廟は「廟」つまり墓である。
グリ・アミールとは「王の墓」を意味し、ティムール朝建国者のティムールおよびその家族が埋葬されている。
ティムール朝について知らない人も多いと思うから、せっかくなので少し紹介する。
ティムール朝
ティムール朝(王朝)は中央アジアからイランにかけての地域を支配した王朝で、
今から約700年遡った1370年〜1507年に栄えた。
最盛期には、現在の東トルキスタン(中国西部)、キルギスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド西部、イラン、イラク、トルコ、アゼルバイジャンあたりを支配していた。
かつて存在していた大国であるモンゴル帝国の解体が進み、トルコはイスラーム化していた。
そんな中でティムールがトルコ系遊牧民とオアシス民を統合し、ティムール朝は築き上げられた。
ティムール朝の都はサマルカンドに置かれ、やがて中央アジア全土、アフガン・イランといった西アジアを支配下に持ち、大帝国へと発展した。
後にアフガンのヘラートも都になり、ティムール没後にはサマルカンド政権、ヘラート政権が分裂。小さな紛争が相次ぎ、トルコ系民族、スンナ派イスラームのシャイバニの攻撃を受けてティムール朝は滅んだ。
ティムール朝が弱化したことで、インドのムガル帝国、トルコ周辺のオスマン帝国、イランのサファヴィー朝が力を大きくしていった。
アミール廟
アミール廟は入場料が25,000スム(約300円)かかる。
一眼レフやゴープロなどを持ち込んで撮影する場合は、別途カメラ料金を払わなければいけないので注意が必要だ。
入場料を支払っていると、日本語がめちゃくちゃ上手いおじさんに話しかけられた。
「日本語上手ですね!」って言ったら「あざす!」だって。
あざすを使える外国人は、日本語をめちゃくちゃ理解していると思う。
さて、早速霊廟を見学する。このように天井と壁の装飾が美しい。

黄金に輝いている。豪華で美しいのだけれど、安らかに眠ることは出来なさそうだなと思った。
アミール廟内にはいくつか部屋があり、各部屋に墓石が置かれていた。

誰の墓かわからない小さなものからティムールやその息子のシャー・ルフ、孫のウルグ・ベクなど偉大な人物の墓まで、かなりの数の墓石がある。
ちなみに、本当にここからティムールの頭蓋骨や体の骨が見つかっているので不謹慎かもしれないが、長い歴史のロマンを感じた。

これらが偉人たちの墓石。
アフラシヤブ遺跡とは

アフラシヤブは紀元前500年から紀元後1220年まで都市として存在していた。
この辺りの地域では最古の都市とされており、丘の上で栄えたらしい。
アフラシヤブはソグディアナの中心地となっていた。
ソグディアナとはサマルカンドを中心とした、ウズベキスタン東部、タジキスタン、キルギスタン西部地域の古名のことである。
イラン系言語を話すソグド人が名前の由来となって、ソグディアナと呼ばれている。
1220年、モンゴル軍による侵攻でアフラシヤブの都市は破壊され、住民はここに戻ることを許されず滅亡した。
その後住民は丘の麓(現在のサマルカンドの街)にすむようになった。
この遺跡からはアフラシヤブ壁画という巨大な壁画が見つかっていたり、井戸や水路、さまざまな用途の部屋があったこともわかっていたりと、当時の様子が解明されてきている遺跡なのである。
世界史に疎い人にとっては何のことかさっぱり分からないと思うのだけれど、
とにかくサマルカンドで栄えた王朝、この地域にとってとても重要な場所だったということを伝えたい。
ちなみにシルクロードを構成する遺跡の一つとして世界遺産にも登録されている。
アフラシヤブ博物館

レギスタン広場から徒歩で20分くらいで到着する。
博物館は石造で迫力がある。入場料は25,000スム(約300円)。安い。
海外(アジア)の博物館は展示が少なかったり、少し薄暗いような場所が多い。
アフラシヤブ博物館も同じような感じだと思っていたのだけれど、想像以上に展示数が多く、歴史的に重要な展示ばかりだったので面白かった。

展示品はアフラシヤブ遺跡で発見された土器や硬貨、巨大壁画、さらには人骨と骨壷までさまざまな展示がある。

私が行ったときは壁画のフロアが工事中で見学できなかった。
この博物館は本当に見学していて楽しいのだけれど、強いていうなら説明書きが少ない。
展示室の隣の部屋ではビデオを上映しており、10言語くらいでアフラシヤブ遺跡を解説する動画が流れていた。もちろん日本語もある。
実際に遺跡に行く前に、この博物館で展示を見て映像で解説を受けた方が遺跡のことがより詳しくわかるので面白い。
アフラシヤブ遺跡
博物館の隣、駐車場内に遺跡への扉がある。その扉を通ると、もう目の前が遺跡になっている。
砂漠のように黄色い地面と丘が広がっていて、異国に来たことを実感できる。
遺跡には説明書きがほとんどなく、自分が今見ている部屋が何なのかは分からない。先ほどの博物館の動画が役に立つ。

でも壁や路地がどうなっているのかは確認ができるので十分面白い。
博物館は入館料がかかるがこの遺跡は無料。入館料がかかっても、ぜひ博物館を見学してから遺跡を見学することをお勧めする。
シャーヒズィンダ廟群

シャーヒズィンダ廟群
アフラシャブの丘の南部にある聖地。名前の通り廟群(墓がたくさん集まった場所)である。
シャーヒズィンダとは「生ける王」という意味で、7世紀に生まれた伝説が元になっている。
シャーヒズィンダ廟群と伝説
廟群なのでネクロポリス(墓がたくさん集まった場所)なのだけれど、なぜそんなに有名なのかというと、イスラム教預言者ムハンマドの従兄クサム・イブン・アッバースと関係があり巡礼地になっているからである。
美しい青色の霊廟やモスクが一直線に建ち並び、まるで中世にタイムスリップしたかのような雰囲気がある。

ここにはこんな伝説がある。
昔、イスラム教預言者ムハンマドの従兄であるアッバースがここのモスクでお祈り中に、世界最古の宗教であるゾロアスター教の教徒に襲撃されて首を刎ねられた。
それでもアッバースはお祈りを続けて、お祈りが終わると自分の首を抱えてシャアバンという井戸に潜り、永遠の命を手に入れた。「シャーヒズィンダ」とは「生ける王」という意味で、その伝説から名付けられている。
だからイスラム教徒にとってすごく重要な場所で、今でも巡礼地の一つとして訪れる人がたくさんいる。
この霊廟群が建設されたのは11〜19世紀にかけて。
アッバースの霊廟の他に、ティムール朝の建国者ティムールの親族や部下の霊廟もある。入り口の門はウルグベクの命令で建設された。
実際に訪れて
本当に美しい青色の霊廟が建ち並んでいる。
入場料は20,000スム(約240円)、写真を撮るならフォト料5,000スム(約60円)が必要だ。
アッバースの霊廟、ティムールの妻の霊廟、妹の霊廟、他にも名前のついていない墓石がたくさんあった。霊廟群の一番奥がアッバースの霊廟。
モンゴル帝国が侵攻したときこの霊廟だけは壊さなかったらしく、サマルカンドで一番古い建物だそうだ。

豪華な霊廟はティムールの妻のものだった。
ここは金色が使われていて、青と金が本当に映える。

ちなみに、この記事冒頭でも言ったサマルカンドブルーは、かつて廟の壁に使われていたラピスラズリの青のこと。
シャーヒズィンダ廟群には当時のラピスラズリのタイルも残っているらしい。

シャーヒズィンダ廟群を見学していると、英語のできる気さくなおじさんが話しかけてくれた。
その後もたくさんの人が話しかけてくれて、特に印象に残っているのはこの家族。

英語は話せないものの、何か色々伝えようとしてくれた。多分ウズベキスタンの親子3世代だと思う。
シャーヒズィンダをあとにして、レギスタン広場のライトアップを見に行った。
階段に座ってカメラをセットしていると現地の青年が話しかけてくれた。
サマルカンドの大学に通っている大学生だった。英語が話せたので日本のこと、ウズベキスタンのことをたくさん話した。

彼とは今もたまにチャットをする。ウズベキスタンは優しい人が本当に多い。
Youtubeにも載せているのでぜひ観てほしい。
次回はウズベキスタンからキルギスタンに陸路で国境越えしたときの話をしようと思う。
それではまた次回。
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