こんにちは。
マシャラ旅のYuseiです。
前回はラホールにあるスーフィズムの聖地Data Darbarを訪れた。
夜はライトアップされたバドシャヒモスクを眺めながらディナーをいただいた。
2022年1月3日にラホールからイスラマバードに戻ってきた。
▶︎2022/01/09
今日はアフガニスタン国境から近いペシャワールという街に行く予定だ。
ペシャワールというと、あの中村哲医師が所属していたペシャワール会ともとても深い関わりがある場所だから、今回はその話も交えながら紹介しようと思う。
ペシャワールとは
ペシャワール
パキスタン西部のカイバル・パクトゥンクワ州の州都で、アフガニスタンの国境から約50km東に位置する。
カイバル峠からほど近い地理的要因から、さまざまな民族支配を受けてきた歴史がある。
ペシャワール周辺は紀元前から栄えており、文化的・歴史的史跡も多い。
首都イスラマバードからは車で約3時間。
長距離バスも出ているが、私は友人らとレンタカーで行くことにした。
ところで、ペシャワールという名前を聞いたことがある人も多いと思う。
アフガニスタンで2019年に銃撃されて亡くなった中村哲医師が現地代表を務めていたペシャワール会は、このペシャワールが由来だ。
せっかくなので、ペシャワール会、中村哲医師、ペシャワールについてもう少し説明しようと思う。
中村哲医師とペシャワールのサンダル
1984年、日本キリスト教海外医療協力会にて、中村哲医師はペシャワールに赴任した。
それ以来約20年ペシャワールでハンセン病を中心とする医療活動を行った。
ところで、パキスタンには「ペシャワーリ・チャッパル」というサンダルがある。

そのサンダルはペシャワールでは特に有名で、たくさんのパキスタン人が履いている。
このサンダルはパキスタンの伝統と、「ハンセン病の早期発見にはサンダルが大切」という中村哲医師の発想が融合して誕生した。
もともと同じサンダルはパキスタンにあったのだが、医療活動では必要としている場所で必要としているときになければ意味がない。ペシャワールで医療活動中、ペシャワールにあるもので、その場でサンダルを生産しようと考えたのが中村医師だった。
具体的には、サンダルの底は廃棄予定の車のゴムタイヤ、本体部分は革細工で出来た端切れを使った。それをペシャワールにいる器用な職人たちに作らせて、ハンセン病の治療や早期発見のために利用したのだった。
それがペシャワーリ・チャッパルだ。
そんなわけで、ペシャワールは日本人とも関わりのあるので、私はどうしても今回行きたかった。
ペシャワールの治安は?

※ペシャーワルと書いてあるのがペシャワールだ。
ぶっちゃけ治安はどうなのか、一番気になるところである。
正直、声を大にしておすすめすることはできない。
理由は、上の写真を見ても分かるとおり外務省の安全マップを見るとレベル4、治安レベルとしては一番高いからだ。
つまり、完全に自己責任で行くことになる。現地の友人は「昔は危なかったけど、今は危なくないので行っても問題ない」と言っていた。
現地の人と外国人ではわけが違うが、事前にたくさん情報収集をして行ってもリスクは少ないと判断したので、自己責任のもと行くことにした。
実際に行った肌感では治安は安定している。
場所によってはまだ危ないところもあるらしいが、観光客が行くような場所(街の中心)は比較的安全だった。
「パキスタンでどこが一番良かった?」と聞かれたら必ず「ペシャワール」と答えるくらい良い街だから、早く治安レベルが下がって観光客が行きやすい街になってほしいと、心から願っている。
実際に訪れて
ペシャワールは本当に良い街だった。人々がとにかく温かい。
パキスタンの中でも厳格なムスリムが多い地域なので、写真を撮るときに絶対に女性が映らないようにといったピリつきはあるが、ペシャワールを好きになった。
訪れた場所については次回の記事で詳しく書こうと思っているので、今回はとっておきの写真を一枚載せておく。

次回はペシャワールで実際に訪れた場所の紹介をしようと思う。
それではまた次回。
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