【2022旅行記】インダス文明の遺跡モヘンジョ=ダロを訪れる(#016パキスタン)

パキスタン

こんにちは。
マシャラ旅のYuseiです。

前回はパキスタン最大の都市カラチを観光した。

▶︎2022/01/28

今回はカラチからラルカナという街に列車で移動し、世界遺産「モヘンジョ=ダロ」を訪れたときの話をしようと思う。
モヘンジョ=ダロまでの行き方の詳細は、以前紹介しているのでそちらを確認してほしい。
【2024旅情報】主要都市からモヘンジョ=ダロの行き方/電車利用がおすすめ!(パキスタン)

カラチからラルカナに列車で移動

私はカラチからラルカナまで列車で移動した。その列車は早朝にラルカナ着。
チケットは驚きの金額だった。片道なんと600PKR(約380円)。

こちらが客席

一応寝台列車なのだけれど、見ての通りベッドになる部分がすごく狭い。
寝返りを打とうとすると落ちる。実際に寝てみたらこんな感じ。

快適な広さではないが値段を考えると妥当だ。
カラチやラルカナの冬はそんなに寒くないので、1月でもこの服だけで足りた。冷え性の人は膝掛けを持っていくと過ごしやすいと思う。

結局、ほとんど眠れずにラルカナに到着した。

まだあたりは真っ暗だし、今夜ラルカナには宿泊せずに夜の寝台列車でカラチに帰るので、モヘンジョ=ダロに行く前にチケットを買わなくてはならない。

だから、とりあえず夜が明けてチケットカウンターがオープンするのを待った。
夜の駅は蚊が多く、ベンチで待とうにも結構きつい。
すると知らないおじさんが駅員さんに待合室を開けるよう伝えてくれた。本当にありがたいことに、私のために待合室を開けてくれた。

専用のトイレももちろんある。ちょっと不気味だけど・・・。

この待合室で7時すぎまで仮眠した。野宿にならなくて本当によかった。

ラルカナ駅周辺で朝食

午前7時を過ぎてお腹が空いたのでお店を探すことにした。
が、ラルカナは本当に小さな街で、朝から開いているレストランがない。

朝のラルカナ駅前

朝のラルカナ駅前のお店はまだシャッターが閉まっていて人もまばら。
護衛が必要な町からも近いので、少し不安を感じた。

少し歩いてやっと道端でプラタを焼いているお店を見つけた。今日の朝ごはんはここにする。

注文したのはこちら。
小麦粉を薄くして、少しの油で揚げたプラタと目玉焼き。
パキスタン定番の朝食だ。

お値段はなんと150PKR(約95円)だった。

お店近くの道。人が全然いなくて怖かったので、急いで食べて駅に戻った。

駅でおじさんに声をかけられて家に行く

チケットカウンターが開くまでの間、駅で待つことにした。
駅構内のベンチで待っていたら、英語でおじさん2人が話しかけてきた。

コロナが収束する前のこの時期に、パキスタンの僻地に外国人がいることはとても珍しい。
だから彼らは私がモヘンジョ=ダロに行くことをすぐに理解した。

モヘンジョ=ダロタクシーで行くことを伝えたら、バイクで連れて行ってくれるとのこと。

小さく、治安もいいとは言えない街で話しかけられたので少し警戒したのだけれど「大丈夫だろう」と自分のセンサーが反応し、連れて行ってもらうことにした。

まずは彼の家にお邪魔した。朝ごはんはさっき食べたが、もう一度いただくことにした。

プラタと目玉焼き。さっきの朝食と同じだ。やっぱりこの朝食はパキスタンで定番らしい。

見ず知らずの外国人を家に招待するのもすごいが、驚いたのはこのご飯を食べた場所。
彼のお兄さん夫婦のベッドの上である。

さらに、出発までの時間はこのベッドでくつろいで良いと言われた。
くつろがずに座っていると、それはそれで言われるのでここは遠慮せずにベッドに横になった。

バイクでラルカナを散策

せっかくなので午前中は彼のバイクでラルカナの街を散策し、午後からモヘンジョダロに行くことにした。
ちなみに彼のバイクはホンダ製。パキスタンのバイクのほとんどがホンダ製だ。

彼が私のためにパキスタンのお菓子をたくさん買ってくれた。もちろん水も。
これからラルカナの市場に行く。

小さな街の市場、もちろん外国人観光客などいないだろう。すごくワクワクする。

市場に到着。大量の野菜、魚、肉が売られている。
エリアごとに売られているものが分かれていて、この写真は野菜のエリア。

ところで、イスラム教の女性は肌の露出を控え、髪をヒジャブやニカブという布で隠す習慣がある
厳格なイスラム教徒が多いイメージのパキスタンだが、イスラマバードやカラチの女性の3割くらいは髪を隠さずに歩いている。

一方でこのラルカナでは、パキスタンの中でも厳格にイスラームの規律を守る人が多いため、ブルカを纏った女性が多い。

ブルカとは頭からくるぶしまで布で覆うもので、下の写真がそれだ。

ムスリム女性を撮影するときは許可を必ず取らないとトラブルになる。
イスラーム国家を旅するときは注意しよう。

インダス川を眺めて

パキスタンの川といったらインダス川だろう。
私もインダス文明が栄えたこの辺りで一度はインダス川を見たいと思っていたが、個人旅行でインダス川を見ることは難しい。

モヘンジョダロの帰りにタクシーに寄ってもらえば良いのだろうけど、英語が通じないこの地域では結構ハードルが高い。
だから諦めていたのだけれど、彼が連れて行ってくれることになった。

ラルカナからバイクで約25分。インダス川を眺めるのに最適な橋に到着した。

インダス川は本当に大きくて優雅に流れている。水の色は汚いがそれがまた良い。
このインダス川を眺められたことは、本当に良い経験になった。

橋の場所はこちら

さて、いつの間にか13時を過ぎていたので、そろそろモヘンジョ=ダロに向かおうと思う。

モヘンジョ=ダロとは

モヘンジョ=ダロはインダス文明の古代遺跡である。
そもそもインダス文明とは世界四大文明のひとつで、中国の長江周辺で栄えた中国文明、イラクのチグリス川とユーフラテス川周辺で栄えたメソポタミア文明、エジプトのナイル川周辺で栄えたエジプト文明と並ぶ。

インダス文明はパキスタンのインダス川を中心に紀元前2600年〜紀元前1800年頃に栄えた文明で、現在のインド・パキスタン・アフガニスタンで遺跡が発見されている。

現在発見された遺跡の数はなんと約2600カ所。その中で最大級なのがこのモヘンジョ=ダロである。

後ほど紹介する予定なのだけど、モヘンジョ=ダロ(インダス文明)はインフラ整備の技術がかなり進んでいて、下水の処理、公衆浴場やキッチンまであったとされている。

1980年にはユネスコ世界文化遺産に登録された。

モヘンジョダロの意味とは?
モヘンジョダロとは「死の丘」を意味する。
歴史学者が調査のために足を踏み入れるまでは、死者が眠る墳丘として地元民は恐れていたらしい。

入場料と入り口での話

モヘンジョ=ダロ遺跡には、博物館がある。モヘンジョ=ダロの入場料と博物館は別料金。
博物館に興味がなくても基本的にまとめて払う必要がある(博物館も面白いので行く価値あり)。

料金はパキスタン人と外国人で異なり、外国人は合計600PKR(約370円)だった。
門のところでチケットを購入し、敷地内に入るとまず緑豊かな公園のような場所と博物館がある。

そこを進むといよいよモヘンジョ=ダロだ。
ここがモヘンジョ=ダロの入口

入り口にはモヘンジョ=ダロで出土した、人形の大型オブジェがある。

見上げるほどの大きさだけど、実際の大きさは片手で持てるほど小さいらしい。
この人形の本物はカラチの博物館に展示されている。

入り口の写真を見てわかるように最初はS.Dエリア。
ここには有名な仏塔があり、いわゆる城塞区だ。よく教科書とかで見る写真もこのエリアで撮影されたものである。

各エリアについては後ほど詳しく説明しようと思う。
さてこのS.Dエリアの入り口で美しい女性たちに声をかけられた。

イスラム教国家のパキスタンで女性が外国人男性に声をかけるのはかなり珍しい。
逆に、彼女ら曰くモヘンジョ=ダロに日本人が来るのも珍しいらしい。

さて、パキスタン人しか観光客がいないモヘンジョ=ダロをこれからゆっくり観光しようと思う。

城塞区S.Dエリアと仏塔

モヘンジョ=ダロの敷地に入るとまずS.Dエリアがある。
このエリアはいわゆる城塞区で神官階級以上の身分が高い人々が暮らしていたとされている。

歴史の教科書などに載っているあれだ。
この写真の一番奥、モヘンジョダロで最も高い建物が有名な仏塔である。

実はこの仏塔、モヘンジョダロとは関係のない仏教遺跡らしい。
というのも、インダス文明が栄えたのは紀元前の話。この仏塔は2〜3世紀頃に造られたので、明らかに年代が違うのだ。

つまり遺跡の上に造られた遺跡ということ。
1921年の本格的な発掘作業が行われるまで仏塔だけが地上に見えていたので、最初は巨大な仏教遺跡が地下に眠っていると思われていたとのこと。

しかし実際掘り起こしてみたら、仏教遺跡よりももっと昔のインダス文明の遺跡だったのでみんな驚きだろう。

さて、その仏塔があるエリアには、インダス文明がいかに発展していたかが分かるものがある。

こちらは公衆浴場。
ただの水溜にも見えるが、この公衆浴場の壁にはタールが塗られていて防水加工されている。
モヘンジョ=ダロの住民はここで毎日のように水浴びをしていたのだろう。

でも、こんなに大きな公衆浴場があっても、汚くなった水を流せなければ不衛生だ。
しかしモヘンジョ=ダロには下水を処理する設備もしっかりしていたため、不衛生になることはほとんどなかったらしい。

この写真は水路。
もちろん発掘されてから保存をする目的で修復されているが、モヘンジョ=ダロには下水を流す設備があったことが分かる。
各家庭から小さな水路を利用して下水を1カ所に集め、それをまとめてインダス川に流していたとされている。

DKエリア/貴族と職人の街

モヘンジョダロの入り口を入って左奥に進むとDKエリアがある。

このDKエリアには貴族や職人階級の人々が暮らしていたらしい。
DKエリアでは、井戸や家の間取り、商店で賑わっていたであろう大通りを見ることができる。

こちらは井戸の写真。

煙突のようにも見えるが、煙突にしては太い。これは何かと尋ねると、井戸だという。

当時は井戸の口のところまで周りに壁や階段があったのだろうか。どうしてこんなに高い位置に井戸があるのかは、残念ながら聞き取れなかった。
このエリアでは、こんな感じの井戸が何本も見える。

小道を挟んで家が立ち並ぶ。DKエリアには小道がたくさんあり、ブロックが積まれてできた家がたくさんある。

保存状態の良い建物が比較的多く、確認しようと思えば間取りも分かるのが面白い。
この遺跡は立ち入り規制がされている場所が少なく、実際に家の中に入ったり家にある小さな階段を登ったりできるので、見学をしているとワクワクする。

仏塔にて

DKエリアも一通り見学したので仏塔のある城塞区に戻ってきた。
仏塔の近くに行くと、パキスタン人観光客が大勢いた。
もちろんいつものように話しかけられて、一緒に写真を撮る。今回は何枚撮っただろうか。

10人くらいの団体が一人ずつ写真を撮りたがるときは、とても時間がかかる。

モヘンジョ=ダロ博物館

モヘンジョダロ博物館には、実際にモヘンジョダロで出土した土器や人形、アクセサリーなどが展示されている。

規模はそこまで大きくなく、見学は1時間もあれば十分だろう。

パキスタンの博物館は、写真撮影OKなところがとても多い。
そのため、みんな展示物を撮っている。と思いきや、ここでも記念撮影を求められた。
全然展示物を見られない。
ひたすらパキスタン人観光客と一緒に撮影をしていたらいつの間にか博物館の営業時間が終わっていた。

ラルカナに戻る/素敵なサプライズ

あっという間に夕日が綺麗な時間になったので、モヘンジョダロ拠点の街ラルカナに戻ろうと思う。
帰りももちろん朝知り合ったおじさんのバイクだ。
帰り道、モヘンジョダロとラルカナの間にある村で綺麗な夕日が見えた。

遮るものが何もない、乾燥した大地の奥に沈む夕日。
オレンジ色に照らされている中、バイクを走らせた。

直接駅に行くわけではなく、一旦おじさんの家に帰る。
朝より人の気配を感じると思ったら、おじさんのお兄さんが仕事から帰宅していた。
お兄さんが私に会いたがっていたらしく、それで家に寄ったとのこと。

軽く挨拶を交わすと、ラルカナがあるシンド州の伝統的な布をプレゼントしてくれた。

シンド州の男性は、この布をスカーフのように巻いて外出することがよくある。
これで私もシンディーの仲間入りだ。

誰もが一度は歴史の教科書やテレビで見たことのあるモヘンジョダロ遺跡。
私もずっと行きたいと思っていた。それが叶ったのが2022年1月。

インターネットで行き方を調べても情報が古かったり、危険だから護衛が必要だったりと、なかなか一歩踏み出すことができずにいた。
実際行ってみて、写真で見たことのある景色が目の前に広がっていて感動した。

モヘンジョダロはもちろん、インダス川やラルカナの街を見られたことも、ラルカナに着いた朝に声をかけてくれた知らないおじさんのおかげである。

もちろんパキスタンで知らない人について行くことはリスクがある。
何があっても自己責任ということになるが、今回は彼を信じて付いて行ってよかったと思っている。

簡単に考えて付いて行くことは絶対にしないでほしいし、このブログを読んでくださっている方々に推奨しているわけではないことを、理解した上で読んでほしい。


2022年9月14日、パキスタンでは大規模な洪水が起きており国土の1/3が水没。
モヘンジョ=ダロも一部崩壊し、避難民がモヘンジョダロで生活している。彼の親戚の家も住めない状態になってしまった。
早くパキスタンの洪水が良くなり、治安や貧困問題も改善することを心から願っている。

最後に、モヘンジョダロについてはYoutubeにも載せているのでそちらもぜひ観てほしい。

次回はパキスタンからドバイに移動し、ドバイEXPO2020を見学したときの話。
それではまた次回!

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